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語り手としての成瀬順

映画

心が叫びたがってるんだ。』を4度観たので感想でも書こうと思う。何故4度も観たかというと、ヒロインの成瀬順がかわいくて仕方なかったからだ。彼女の小動物的なかわいらしさに夢中になってしまった。

 

ところで、成瀬順はこの映画のヒロインであるだけでなく、自らの過去の雄弁な語り手でもある。彼女は幼い頃、父親が見知らぬ女と車に乗ってラブホテルから出てくるという衝撃的な光景を目にするのだが、その語り手としての才能は車を白馬に、父親と見知らぬ女を王子様とお姫様に歪曲する。そしてそのことを無邪気にも母親に話した結果、両親は離婚することになる。悲嘆に暮れるロリ瀬順の前に、玉子の妖精が現れる。玉子の妖精は彼女の雄弁を戒め、彼女の幸せのために口がきけなくなる呪いをかける。これはやはり超常現象などではなく、彼女が生み出した幻想である(「やはり」というのは、本作の姉妹作ともいえる『あの花』においても、病んだ主人公が故人の本間芽衣子を幻視するからだ)。

 

 高校生になった成瀬順は自分が喋らない理由について、メールを通じてこのように語るのだが、この話を聞かされたクラスメイトの坂上拓実は当然のように空返事をするしかない。クラスでも浮いているダンマリ女が電波だったとは…とでも思っているのかも知れない。しかし、少なくとも表面上は純朴な聞き手を獲得したことに調子を良くしたのか、母親にダンマリを叱責されて家を飛び出した成瀬順はさらにその語りを暴走させる。何と自分の辛い過去を高校の出し物の脚本に仕立てあげてしまうのだ。このようなギュンター・グラス並みの強かさまで併せ持つ語りの天才である彼女は、その稀有なパントマイム話術(超かわいい)でクラスメイトの心を鷲掴みにし、見事自作劇のヒロインに収まる。さらに、王子様役には恋心を抱くようになった坂上が選ばれる。ここで、王子様と(未来の)お姫様という取り合わせは冒頭のラブホテルの不吉さを匂わせるが、その場合貧乏クジを引かされるのは文字通りの正妻である仁藤菜月であり、成瀬順は坂上と結ばれることによって過去のトラウマとの皮肉な相似形を描くはずだった。

 

しかし話はここで終わらない。

 

ミュージカル本番の前夜、リハーサルの後片付けをしていた成瀬順は、坂上と仁藤の密会を目撃する。そこで坂上の想い人が自分ではないことを知った彼女は絶望し、夜の街を走り抜ける。彼女の脳裏には父親と見知らぬ女がラブホテルから出てくる場面がフラッシュバックしていたかも知れない。走りに走って転んだ彼女が見たものは、またしても玉子の妖精である。玉子の妖精は、今度は彼女の「心がお喋り過ぎる」ことを非難する。もちろんこれも彼女の幻想だ。幸せになるために喋らないという長年の願掛けが失敗に終わった理由を、彼女は何としても見つけなければならなかった。その苦し紛れの弁解が「心がお喋り過ぎる」という一見意味の通らない言葉の意味なのだ。新しい呪いのために心を閉ざした成瀬順はそのままどこかへ行ってしまう。

 

 そして迎えたミュージカル本番、教室ではヒロインの不在に皆がどよめいていた。ここで昨晩の会話を聞かれていたことに思い至った坂上は、成瀬順を見つけて連れ戻すために山の上のラブホテル跡へと向かう。実際に彼女はそこにいるのだが、このことはまだ自分はお姫様であるという物語に彼女が囚われていることを示唆している。しかし迎えに来た坂上に玉子の妖精の存在を否定され、激高した成瀬順は「(玉子の妖精が)いないと私が困るの」とついに本音を吐露する。彼女は堰を切ったようにこれまで溜め込んでいた気持ちの全てを彼にぶつける。もちろん彼女の告白は断わられるのだが、このことによって彼女は長年自分を縛ってきた「王子様とお姫様の物語」からようやく完全に解放されるのだ。

 

この後二人は高校に戻り、ミュージカルも何とか無事に終える。最後に野球部の何とか君に告白されて頬を染める成瀬順、で映画は終わるのだが、もちろんこのオープンエンディングも彼女が自分自身を縛っていた物語から逃れたことを示唆している。野球部の何とか君と付き合うことになってもならなくても、成瀬順は王子様=坂上と結ばれなかったことで、「王子様とお姫様」という過去のトラウマとの不幸な相似形から逃れただけでなく、自らの語りからも逃れることに成功したのだ。